新幹線コラム - 序


新幹線。 

それは1964年の東京オリンピックと共に生まれた、夢と希望の象徴である。

また旅行や出張など、誰もが「非日常」の象徴として、その思い出を持つものではなかろうか。 


しかし、新幹線利用者の中に、確かに彼らは存在する。

世間にはなかなか知られていないが、彼らは静かで努力家でかつ効率重視な、独特の雰囲気を持って存在する。

彼らの名は、通勤客。

新幹線定期という魔法のカードを持ち、北から西から都内へ、通勤・通学をする。 


一見とんでもないお金持ちに見えるだろう。でも冷静に考えてみてほしい。

まず定期券は、毎日新幹線の切符を買った場合の半額程度で購入できる。

そしてその通勤者の多くは企業から通勤補助が出ているため、自分で少し上乗せして定期を買う。 

通学者の場合、その多くは、都内に下宿するよりも安いからと、少しだけ遠慮しつつ親の脛をかじる。

中には幼いから、女の子だからと、脛をかじらされている者も少なくない。そして彼らには学割が効く。


新幹線で通うような人種の居住地は、在来線ですら都内への定期券がそこそこ高い。

郊外に住むことで、都心に住むよりリーズナブルな暮らしをしている分、時間をお金で買った方がいい

———それが新幹線通勤客という人種である。


わたしは15の春、地元・栃木を出て東京の音楽高校に進学した。

右手に新幹線定期を搭載したSuicaを、左手には初めての携帯電話を握りしめて、片道1時間、距離にして約80kmの遠距離通学ライフが始まった。

そしてそれは、大学を卒業するまで続いた。 


都会の女になりたくて、早く地元を出たいと強く思っていた。 

制服におさげ姿の15歳の少女は、重たいスクールバッグと小さくない楽器を抱えて、おじさんがほとんどの通勤客や時に観光客に揉まれながら通学していた。 


田舎の優等生だった少女が、降車駅に停まる新幹線が1時間に1本しかないという悪条件の中たくましく成長し、ヒールを鳴らして早歩きするデキジョ風の女子大生になるまでの軌跡を、新幹線の中の過ごし方を通して辿りたいと思う。


———新幹線コラム - 序