リレーコラム第4周『はやりすたり』

ずいぶん秋らしくなった。朝晩は冷えるので、夏服は寒くなってきた。なにより、季節が変わると新しい服がほしくなる。チェック柄や濃い色合いのものについつい興味をそそられる。


はやりすたり

藝大生はわりと、トレンドに流されずにそれぞれ好きな格好をしている。特に美校(美術学部を美校、音楽学部を音校と呼ぶのは藝大の前身、東京美術学校・東京音楽学校の名残りらしい)にはファッションそのものがアートのような人も多いが、音校の人はそこまで奇抜でないにしても、流行にとらわれないおしゃれをしていて、世の中の大学生に比べてその点すごく自由だ。はやりの服が悪いとは言わない、かわいいけれども、みんながみんなが似通った服を着る必要はまったくないと思う。でも大学生は周りの目が気になるお年頃、もしかするとわたしたちの世代は特にその傾向が強いかもしれないが、流行のものをまとってなければいけないような風潮がある気がする。たまに昔の同級生に会って話すと、ファッションへの認識がずれていることがあり、しみじみ考える。

なんて、えらそうなことを言って、毎日完璧なコーディネートをしているかと言われると自信はない。決まった、と思える日があれば、今日は無難な路線に逃げたな、という日、これはチョイスを間違えたと思う日もある。大学も2年目になりずいぶん慣れたが、入学したての頃は制服がないことを嘆いたものだった。朝に服を選ぶ習慣がないから、毎朝家を出る時間が押しに押して、大騒ぎだった。なんせ私服のアイデアがまったく浮かばず、今だから告白するが、始めの数か月はほぼいつも母の知恵に頼っていた。

学校帰りに電車を待ちながら本屋でファッション雑誌を見た。コーディネートの参考になる雑誌はないだろうかといろいろ手に取ったが、どれも似たようなものばかりでそのうち飽き飽きした。個性を感じられなかった。なんてつまらないんだろう。しかもはやりのものはどれも自分で着たいとは思えなかった。どんなにかわいいなと思っても、その気持ちを持てるのは誰かが着ているのを見るところまで。やがて雑誌は星占いのページしか見なくなった。


流行と自由

何でも、その時代にあったスタイルがあるし、それに合わせて生きるのもまた、今を生きるものとしての使命だ。とはいえ、それは個性を持たないこととイコールではないはずだ。流行は、自分の主体性を持った上で取り入れた時に初めて活かせるのではないだろうか。わたしはもともと、人と被りたくない、人が持っていないものを持ちたいという性格だから、こんなことを思うのかもしれないけれど、そんな自分だから、好きな服を好きなように着ていられる環境にいられる幸せを思う。

いや、自由に暮らせているのはファッションだけの話ではない。音楽だってそう。もちろん基礎は押さえていなければいけないが、弾きたいように弾かせてもらえる、のびのび育ててくださる先生方に出会えたことに感謝している。というより、すべてにおいてオリジナリティを貫きまくるわたしを、受け入れてくださる方々がいるおかげで、こうも自由に生きている。やりたいことがたくさんあるということは、悪く言えばそれだけまわりの人を振り回すということだ。その分生産した何かを社会に還元する義務があると思う。と言うとと堅くなるけれど、わたしが普段思っているのは、何かを生み出して、それによって笑顔を増やしたい、という、ただそれだけのことだ。

ところで、はやりの服が嫌いというわけではない。むしろ、この秋トレンドになっているきれいめクロップドパンツなんてツボである。待ってました、とばかりに早速手に入れた。よくありそうなグレーのチェック柄ではあるが、ラインの色がすこし珍しいものがとても気に入って買った。


職業柄

ヴァイオリン弾きならではの服の制約もある。特にトップスは選ぶ。例えば襟元の装飾。どんなにかわいいなと思ったところで、デコルテから左肩にかけての範囲でビーズなどついていた日には購入を断念する。ポンチョやドルマンスリーブは腕の可動範囲が減るので難しいし、肩回りには余裕がほしい。冬物で、首元があまりに分厚い素材だと弾きづらい。わたしは襟があるものの方が素肌に楽器が当たらないので好きだけれど、人によっては首の回りが空いていたほうが楽器が滑らなくていいと言う。オケや室内楽など座って弾くことがある日に、あまり短いスカートは禁物だし、試演会用の少し改まった服も持っていたいし…… そうなると何が便利って、オーソドックスな膝丈Aラインのシンプルなワンピースだ。実にコンサバティブである。そんなわけで結局弦楽器の学生は流行と逆を行く、シンプルで清楚な格好が多くなる。昔ながらの「ヴァイオリンを弾くお嬢さん」らしい格好が絶滅しないのはそういった理由がある。わたし自身はパンツスタイルが好きなので、スカートを履く日の方が珍しいのだけれど。

わたしは小さい頃なで肩だった。当時バレエを習っていたが、下手で下手でしばしば怒られていた。しかし先生は、あなたは首から肩にかけてのラインがバレエに大変適しているのだから、頼むから姿勢を良くしてちょうだいと言って、体型はいつもほめてくれた。5年半続けたものの、自分で踊ることがさして好きでなかったせいで向上心もあまり無かったのか、よっぽど才能が無かったのか下手なままやめた。今となってはあの頃学んだことが西洋音楽の理解にすごく役に立つ瞬間があって、習っていてよかったな、としみじみ思い、通わせてくれた両親に感謝している。でも残念ながらやっぱりやっていた時は好きじゃないと思っている期間の方が長かった。

母はわたしのバレエになっていない動きにいつも嘆いたが、今思うと、先生や母に何を言われてもわたしにはいまいち真剣味が無かった気がする。本業じゃないし、と思っていたからかもしれない。なんだかんだ言って母にも当然そういう考えはあって、あなたのなで肩はバレエには良くてもヴァイオリンには向いていないわよねぇ、と少し残念そうに言うのだった。何かで整形外科にかかったついでに、先生に、この子は将来もなで肩のままでしょうか、なんて質問したことすらある。

ところが中学生の頃、服を買いに行ってふと気がついた。ブラウス試着をしたら、自分に思いの外肩幅があって、良いと思ったサイズが着られない。このサイズきつい、どこがきつい? …肩。肩だって? あれれれれ。それまでちっとも気づかなかった。いつ急成長したというのだ。小学校を卒業する段階で165cm近くまで育っていたわたしに、ここでこんな成長期が待っていようとは誰も予想せなんだ。

以来服は肩幅で諦めることがままある。かわいいブラウスやワンピースに限って、9号やMサイズしかなかったりして、その度しょんぼりする。服屋さんの偉い方々、もしこれを読んでいたら、もう少しマイノリティ向けサイズの生産数を増やしてくださると泣いて喜びます。…音楽のコラムに書くことでは無かった。


おしゃれな音楽家

おしゃれをするというのはひとつのたしなみであると思うし、感性が磨かれるので、音楽だけやっていればいい、というのではなく、あの人上手ね、しかもいつもおしゃれで素敵ね、と言われるようになれれば理想的だ。どちらも、なかなか道のりは長いかしら…。

先日服を見ていたら、母が、これかわいくない?とトップスを選んできた。ヴァイオリンケースを背負いづらいかも、と率直な感想を述べたら、母は「そっかぁ、あなたたちはヴァイオリンを背負って生きているんだもんね」と言って、大変だね、とつぶやきながらその服を戻しに行った。わたしは買うか悩んでいる服を手に持ったまま、しばらくぼんやりと母の言葉を反芻していた。


ーWebアッコルド「音楽 × 私」より 2013年10月17日掲載


リレーコラム共通質問

Q.自分を動物に例えると?

A.わたしの「うさギ」くん。よく、はらだに似ているって言われるのですがどうでしょう…自分ではよくわかりません。でも、似ていると言われるのはまんざらでもないです。

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