リレーコラム第10周『お気楽砂漠絵図』
もうすぐ新年度。このコラムが載る頃には、もしかしたら桜がずいぶん咲いているのではないだろうか。リレーコラムはメンバーが増えて順番も変わり、放課後コラムニストとしても心機一転しようと今までのコラムを読み返してみた。時間を経て見ると自分の文章がすごく幼稚に感じる。 いろいろな文体に触れて、文章力を磨いていきたいと思う今日この頃だ。(これからもどうかお付き合いください)
お気楽砂漠絵図
大学生活は砂漠に例えることができる。志願者はひとたび入学試験を越えると最低でも4年は砂漠に放たれる。そのだだっ広い土地に価値を見出す者もいれば、砂に足を取られてそこに留まることを余儀なくされる者もいる。砂漠は永遠に続くように見えても限りがあったり、そこで意外な生物に出会うこともある。
学生の恋人「布団」との大切な時間を蝕む怒涛の試験期間を終えると、成績発表のある4月まで、彼らは春休みという名のオアシスを得る。講習会やコンクールに翻弄される夏休みや、試験が気になるあまりこたつに潜ってみかんをむさぼってしまう冬休みと違い、春休みの過ごし方には多様性がある。
彼女は昨年、ひたすら家でさらうという、堅実にして刺激のない春休みを過ごした。一応自動車学校に通ったり、知り合いのいる合奏団にエキストラという珍獣として顔を出したりはしていたが、それ以外は家にいて、練習か部屋の模様替えをしている、それが実態だった。
今年はさすがにもう少しアクティブに過ごしたらいいのではないか。試験を前にそう考えていたまさにその時、友人・美女あかりの「演奏会をする」という企画が、彼女の前に降って現れる。自主企画ということはやること目白押し、鬼のよう、しかもあと3か月ない、むしろ2か月。けれど去年と同じ轍は踏みたくない。彼女は膝を打って合意した。
しかし世は試験を目前にした大戦国時代。実技試験が済むまで、彼女たちは準備に手をつけられないままに何回も太陽を見送った。
いよいよ陣を置いたのは本番1か月前。彼女とあかり嬢と、あかりをモデル系美女と定義するならばこちらは女優系美女であるめいこはんは、大正時代の古民家を使った下町は言問通り沿いの喫茶店の座敷で頭を寄せ合い、固形物と液体物の両面から栄養を摂取しながら作戦会議を行った。
厄介なのは練習場所である。演奏会の直前は、あいにく大学御殿が入試のため在校生立ち入り禁止になる。そうなると背に腹は変えられぬ、自分の腹を切りながら学外の練習室を借りるしかない。果たして待っているのは漆黒のプラス決算か、紅の負の利益か。
3月7日友引、いざ日本橋の陣。もう3月だというのに、あろうことかその日都心のビル街を雪が舞った。我があかり嬢が小寒生まれの生粋の雪女であるからに違いない。同じ冬生まれでも太平洋気候の強烈な晴れを身につける彼女は、午前中晴れていたからと油断した自分を悔いた。
会場のあるビルの前の道路を見て、彼女の脳裏にはたと1年半前の夏の光景が浮かぶ。この道、あかり嬢と通ったではないか。一時、額にまとわりつく湿気たっぷりの空気の感覚がよみがえったものの、実際のところ彼女は肩に重たい鞄と楽器ケースをかけ、かさばる衣装バッグに楽屋差し入れの菓子折りを両手で持ち、雪を顔面に受けて立っていた。自分の晴れ女ぶりを信じて疑わず、傘なんて持たなかったしそもそも持つ手は無い。
あかり嬢とめいこはんと合流し、総舞台稽古を始める。自主企画の演奏会というのはいわばここからが戦いで、弾きながら会場づくりをしていかねばならない。ピアノのゆか氏、そしてお手伝いをお願いした同級生3人が時間差で到着し、受付のセッティング、舞台上の段取りなど、猫の手をも渇望しつつ支度を進める。そんな最中にも、お菓子を配りながら自分も食べるくらいには腹ごしらえに余念のない彼女であったが、いざあっという間に開場時刻を迎え1番乗りの客人の声を耳にしてから、母特製カップケーキをまだ食べていないことに気づいてさらに血糖値を上げる。
法螺貝が鳴った。彼女とあかり嬢はよくある「袖スタッフの見送り」を真似して、めいこはんとゆか氏を割れんばかりの拍手で送り出す。めいこはんの「春」(Beethoven:Sonate für Klavier und Violine Nr.5 Ⅰ Op.24)が開場に花の香りを誘い込む。お寒かったでしょう、雪の中ありがとうございます。ここだけでも春になれば。と語るめいこはんに呼ばれ、彼女は舞台に出る。ただいまご紹介に預かりましたはらだまほです。…ここだけの話、彼女はその昔ヴァイオリン忍者というあだ名がついたことがある。
小夜曲という名の小品(D'ambrosio:Sérénade Op.4)を奏でた後、ゆか氏が袖へはける。無伴奏の奏鳴曲第2番より亡霊の踊り(Ysaÿe:Sonate pour Violino seul N°2 Ⅲ Op.27-2)、これは春の幻か、亡霊(グレゴリオ聖歌『怒りの日』をもとにした主題)があれよこれよと6通りに姿を変えて無い足で踊る。昇天したか否かは次楽章が鍵を握るが、じきに彼岸であることだし、 今回はお預けといたして選手交代、今度はあかり嬢の中提琴による奏鳴曲である(Bowen:Sonata for Viola and Piano No.1 Ⅰ Op.18)。知る人ぞ知る名曲、あかり嬢はこの曲の伝道師になるべく各地で熱演を重ねている。
試合も前半戦終了間際、めいこはんが超絶技巧作品でゴールを決める。めいこはんの歌心が生える「序奏と」イタリーの国の円舞曲「タランテラ」(Sarasate:Introduction and Tarantella)。小洒落た雰囲気を漂わせながら、技巧の張り巡らされた軽妙な音楽が奏でられる。爽やかにフィニッシュ、極度の緊張から放たれ、袖に戻った瞬間めいこはんとゆか氏は金縛りが解けたかのようにほっとした顔をする。
後半は団体戦。スラブ民族派でドイツ正統派を挟み込む曲の配置は、彼女たちが勉強した順番を遡るものである。学内試験に向け熱くなるあまり、前日にはパロディ動画を撮り始めるという謎の現実逃避を測った秋(Dvořák:Drobnosti Op.75a)、これまた御殿が院の入試期間で閉鎖されたために、あかり嬢屋敷まで遠征を行った夏(Beethoven:Trio Op.87)、まだお互いを知らず探り合いをしながらやや緊張気味だった春(Dvořák:Terzetto Op.74) 。二度目の春の訪れ、啓蟄の入りであった本番の前日にはプログラム用紙を購入するためにGoogle検索をした結果、趣きある文具店を見つけて興奮するという再びの現実逃避ぶりであったが、この春からはチェロを加えて弦楽四重奏に取り組み始める予定の彼女たちである。逃避はしつつ一応やることはやっている。
あっという間の2時間であった。このテルツェットという編成、曲が無く、あとは此度取り上げなかったコダーイがあるきりである。いつかその曲に取り組むことがあるのかないのか、はたまた此度の曲を再演することがあるかどうかはわからないが、この3人で作ったものは間違いなく今後の彼女たちの財産となることであろう。
お客人のお見送り後、気になる来客状況を確認すると…華の黒字である。ありがたや、こりゃ恐れ入谷の鬼子母神。彼女たちがやれ誰さん彼さんと四方山話に華を咲かせている間に、受付嬢たちが完璧に片付けを済ませていてくれたことに後々気づいて、これまた有り難い話であった。
会場を後にし、彼女は家出ばりの荷物を持って東京駅を目指す。発車時刻間際。大荷物にも関わらずホームを駆ける彼女の視界の端に月が映った。ビルとビルの隙間からこちらを照らしている。いつの間に晴れたのだろうか。お月さまやい、今宵の音楽、聞いてくれたかい。一瞬立ち止まったのち、彼女は再び駆け始めた。視線の先には、座席と食料を確保して彼女を待っている両親の姿があった。
春である。数日後、彼女はあの夜の景色を思い出し、心地よい記憶に浸りながらパソコンを開いた。来年度の時間割が出ているのである。4月になってから慌てるなかれ、春休みのうちに組んでおくのがスマートな学生だ。専門実技と管弦楽、室内楽と和声上級、そして教職課程に一般教養……彼女は色とりどりの時間割を打ち込み、その出来映えにほれぼれした。とはいえ型は昨年の使い回しで科目名を変えただけ、偉いのは昨年の彼女であり、それに比べて今年は手抜きの感が否めない。時間割を考えながら、今年の花見はいつ行こうと、不忍池の屋台で無数の酒飲みの群れを交わしながらチヂミやじゃがバタにおやき、おでんにフランクフルトにソフトクリームを食べる図ばかり妄想していたのだから、学生というのはどこまでもお気楽である。花見シーズンの上野公園は特別なオアシスだ。
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少し口調を変えてみましたが、お楽しみいただけたでしょうか。森見登美彦氏風の語り口で、先日宣伝しておりました演奏会のご報告をお送りいたしました。新聞の連載で出会って以来、わたしはその独特の文体にすごく惹かれているのですが、好き嫌いはあるかと思います。笑 次回はどうしようかな。
ーWebアッコルド「音楽 × 私」より 2014年3月24日掲載
リレーコラム共通質問
Q.春。新たにチャレンジしたいことはありますか?
A.わたしの通学路線が先日上下線共に大幅にダイヤ改正しました。1時間に1本、毎時○分の電車の○分が30分も変わったので生活リズムも変える必要があります。新しい生活パターンを始めたい、いえ始めなくてはいけません。。
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